日本コムシスグループ 東京鋪装工業株式会社

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ワークスタイル(道路建設の仕事)東京鋪装ので働く社員を紹介

INTERVIEW 03

野尻 司

東北支店 工事部主任
2009年入社

南三陸道路の工事で
東北復興への貢献を実感

「“カタチ”が残る仕事」に魅力を感じて

大学では土木工学を専攻し、コンクリートの劣化に関する研究をしていました。建設建築企業を主に就職活動をしていた中で、大学までをずっと東北で過ごしたこともあり、社会人からは東京で広い世界を見てみようという思いが強かったですね。ですから、最初に東京鋪装を見つけたときは、社名に「東京」とあるからには東京に行けるぞ、というような安易な考えもあって興味を持ちました(笑)。そして、面接時に「夜間工事など不規則勤務もあるがその分待遇面はいい」というお話を聞いて俄然やる気になり、道路という“カタチ”に残るインフラを作るということにも魅力を感じました。入社後2週間は生産技術部で道路についての専門分野の研修と、合わせてビジネス研修もします。その後すぐに配属され、OJTの形式で先輩の下について実務を勉強していきました。いきなりの現場でしたから、見よう見まねでやってくしかなくて必死でした。それでも2年目からは小さい現場をひとりで監理させてもらえるようになりました。工期が1ヶ月という短い仕事から始まって、2ヶ月、数ヶ月とだんだん大きな現場を任せてもらえるようになるんです。5年目くらいで公共工事系の比較的規模の大きい工事の現場代理人補佐という役割を与えていただきました。

「地図に残る仕事」に魅力を感じて
東京から結婚を機に東北へ
ワークライフバランスを考慮した異動

仕事は予算の策定から、役所や施行関係や地域住民との渉外業務、工事計画の調整、完成図書の作成まで多岐に渡ります。入社当初は下請けとして建物建築等に付随した私有地の路面舗装の仕事が多かったので業務量は少なかったのですが、29歳で元請としての公共道路工事の現場代理人になって、だんだん責任の範囲が広くなってきました。高速道路などの仕事の場合、およそ1キロの長さを1年くらいの工期で請け負います。最初の3~4ヶ月は施工計画や地元との折衝、予算の計画などの打ち合わせや書類作成のみを行います。工事を請け負った時点で現場の近くに現場事務所を設置して、そこで仕事をします。家から通えるところばかりではありませんから、その場合は近くにアパートなどの宿舎を借りて住み込むことになりますね。実は東京勤務を希望して就職したのですが、結婚と同時に地元にUターンで東北支店に異動しました。社員の希望には柔軟に対応してくれることには、とても感謝しています。道路という仕事なので、それでも家から離れている現場の近くに住むことが多いのですが、週末に家に帰って子どもの寝顔を見ると疲れは吹き飛びます。

東京から結婚を機に東北へワークライフバランスを考慮した異動
自分の作った道路を子供に教えたい

東日本大震災のときは東京勤務でしたが、すぐに東北支店に応援派遣され復興事業に従事しました。最近手掛けていたのは南三陸道路の工事です。東北の三陸海岸沿いに通っている三陸道の中の南三陸の区間に当ります。東北の復興のためにアクセスを改善することを目的に、平成31年の全面開通に向けて国交省が取り組んでいるものです。私が担当している区間は今年の1月31日に工事が終わり無事開通することができました。この現場もそうだったのですが、最初はこんなところに道路を通して車が走るのかと、途方もないような気持ちになります。工期を考えると、絶対終わらないのではないかと不安になることもあります。でも、工期が迫ってくる中で毎日本気で取り組んで、工期を収めて開通したときの喜びはひとしおで、まさに達成感です。開通式でテープカットされた後、初めに関係者の数十台の車がゆっくりと走り出し、その後に一般の車がどんどん入ってくる。その時は前日までの仕事で本当に疲れ切っているのですが、感無量で眺めていました。今は子供たちが小さいのでまだ分からないかもしれませんが、いつか大きくなったら自分の作った道路を車で走って「ここはお父さんの作った道路だよ」と教えたいと思っています。

自分の作った道路を子供に教えたい
私のオフ
普段は現場近くの宿舎で暮らしているので、週末は妻と子供たちのいる家に帰るようにしています。時間が遅くなると子供が寝る前に帰れないこともあるんですけど、起こさないように寝顔だけ見て満足ですね。会社としてちゃんと休むこと、有給を取ること、残業をしないことを呼びかけています。今後は健康のことも考えてジムに通ったりもしたいですね。
私のある1日

私のある1日

私のキャリアパス

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